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カテゴリ:Heritage

  • 2006年11月21日(火) 勝手に成城遺産・9「八丁目の田舎的景観群」 (成城生活歴843日)
    [ 2006-11-21 20:00 ]
  • 2006年2月23日(木) 勝手に成城遺産・8 「火の見櫓および旧消防署建築群」 (成城生活歴572日)
    [ 2006-02-23 20:55 ]
  • 2006年2月17日(金) 勝手に成城遺産・7 「佐久間本店建築群」 (成城生活歴566日)
    [ 2006-02-17 20:52 ]
  • 2005年12月7日(水) 勝手に成城遺産・6 「四丁目の桧皮塀」 (成城生活歴494日)
    [ 2005-12-07 16:46 ]
  • 2005年11月24日(木)勝手に成城遺産・5 「六丁目の路地風景」 (成城生活歴481日)
    [ 2005-11-24 21:21 ]
  • 2005年11月12日(土) 勝手に成城遺産・4「成城三丁目のススキが原」 (成城生活歴469日)
    [ 2005-11-12 17:22 ]
  • 2005年11月5日(土) 勝手に成城遺産・3 「六丁目・旧岡田屋食料品店建築群」 (成城生活歴462日)
    [ 2005-11-05 21:31 ]
  • 2005年11月4日(金) 勝手に成城遺産・2 「四丁目の陶製表札」 (成城生活歴461日)
    [ 2005-11-04 15:09 ]
  • 2005年11月2日(水) 勝手に成城遺産・1 「二丁目A邸の巨大生垣群」 (成城生活歴459日)
    [ 2005-11-02 14:58 ]

 

2006年11月21日(火) 勝手に成城遺産・9「八丁目の田舎的景観群」 (成城生活歴843日)

ここは群馬県です…と言っても、誰も不思議に思わないだろうなぁ。でも、ここは正真正銘の成城。駅から歩いても10分少々の場所です。昔から続く農家の一角に、「生産緑地」として残っている野菜畑。実った野菜も見事です。畑近くの柿ノ木には渋柿がたわわに実って、野鳥がついばみにやってきます。なんだか田舎にいるような、のんびりした気分…。成城一帯は、高台にあるため水利が悪く、農業には不向きな土地だったとか。おかげで成城学園による大規模な学園都市開発が可能になったというわけです。もともとこんな風景が広がっていたんでしょうね。今でもとくに八丁目から九丁目にかけては、こうした昔ながらの田園風景がまだあちこちに残っています。農業の後継者が減って、土地の価格が再び上昇しはじめているから、いつまでもこのままとは思えませんが、なんとか守りたいですね。人間は自然の一部で、自然に生かされていることを忘れないためにも、暮らしの身近にこういう景観があることがとても大切だと思うんです。それに今流行りの「地産地消」、成城産の野菜が近所で買えたらもっと素敵なんですがね。豪邸が並ぶだけじゃなく、すぐそばに畑のある成城のほうが、ほんとうの意味で贅沢な町だと思いませんか?

by marrungu | 2006-11-21 20:00 | Heritage 

2006年2月23日(木) 勝手に成城遺産・8 「火の見櫓および旧消防署建築群」 (成城生活歴572日)

南口にある成城自治会の建物の背後に火の見櫓が建っている。屋根もないし、半鐘もないが、見るからに懐かしい火の見櫓だ。この道を通るときは、なぜか成城自治会側の歩道を歩いてしまうが、たまたま自宅に忘れ物をして、妻に届けてもらうのに、車を待つには反対側がよかろうと、バスの列が途切れた自治会の向かい側に立っていた。なかなか現れぬ妻の車に待ちくたびれてあちこち眺めていて気がついたのが火の見櫓。こんなところに火の見櫓があったっけと思ったが、見たような、見ていないような曖昧な記憶しかない。いまや三方を高いビルに囲まれて、もはや火の見櫓の用はなしていない。それにしても、なんでここに火の見櫓がと不思議に思って調べたら、成城自治会の建物と関係があった。この建物は、古い古いとは思っていたが、どうも戦前からあったらしい。しかも以前は世田谷消防署の成城分署の建物で、それで火の見櫓が建っているのだ。今でも自治会の後ろに回ると、火の見櫓の足元には、消防団のポンプ置き場がある。なんでも小型の消防車も収まっているという話も聞いたがほんとうだろうか? 通りに出られぬ気がするが。そうか、駅前のこんな所に消防署があったのか。今の豪華な消防署とは比べ物にならぬ小さな消防署だ。古き良き成城の街並みが浮かんでくる。

 Map

by marrungu | 2006-02-23 20:55 | Heritage 

2006年2月17日(金) 勝手に成城遺産・7 「佐久間本店建築群」 (成城生活歴566日)

昭和の面影をとどめる木造の店構え。成城通りに面した葬祭業「佐久間本店」の建物だ。実は、背後に見える3階建てのビルに張り付いて一体化している。もともとあった木造部分を、後から建てたビルとつないでしまったんだろうが、今なら許されないかもしれないユニークな建物だ。「成城遺産」に登録したのは、そのユニークさ故ではない。この店の前に建つと、なんとなく古き良き成城の駅前風景が浮かんでくるからだ。今ではすっかりコンクリートのビルばかりになってしまったこの駅前通りも、ちょっと前まではこんな木造の店が軒を連ねていたのだろう。この店の前に立つと、一瞬タイムワープできる。ところで、ご存知だろうか? この佐久間本店、コンビニを除けば、唯一成城で24時間営業しているお店だ。万が一のときはいつ電話しても対応してくれる。

 ■佐久間本店
    成城6-6-3(西口徒歩1分・みずほ銀行斜め向かい) Map
    TEL 03-3482-1467 FAX 03-3484-4848
    営業時間 : 24時間
    定 休 日 : なし
    駐 車 場 : あり(1台)

by marrungu | 2006-02-17 20:52 | Heritage 

2005年12月7日(水) 勝手に成城遺産・6 「四丁目の桧皮塀」 (成城生活歴494日)

不動坂を上りきった角にある古い住宅は、珍しい桧皮の塀だ。生垣が基本の成城にあっては異端かもしれないが、不動坂の雰囲気もありなかなか風情がある。ご存知の通り、桧皮は桧の立ち木からそのまま皮を剥がしたもの。一度剥がすと再び表皮ができるまで10年近くを要する。しかも近年文化財修復で桧皮の重要が増したにもかかわらず、桧林の減少、皮を剥ぐ「原皮師」(もとかわし)の不足で供給が追いつかぬ貴重な素材だ。そんな桧皮をふんだんに使った塀と門。ひとつ間違うと嫌味になるところだが、鄙びた味わいがいい具合におさまっている。このところ成城にも増えている無粋なコンクリート塀に比べ、住まう人の人柄が偲ばれる。

by marrungu | 2005-12-07 16:46 | Heritage 

2005年11月24日(木)勝手に成城遺産・5 「六丁目の路地風景」 (成城生活歴481日)

まるでタイムマシーンに乗って昭和30年代に迷い込んだような、不思議な気分だ。北口を出て左へ進み、パチンコ屋の向かいあたりで右に折れる。細い路地は舗装などなく、突然砂利道となる。道路の脇には生垣と板塀が連なり、古い板壁の木造家屋も健在だ。まるで京島界隈の趣。これが成城のど真ん中、駅からわずか1~2分の風景だとはとても信じがたい。べーごまを回すこどもたちが今にも現れそう・・・。駅前周辺はみんな鉄筋のビルになったが、ちょっと昔の成城の商店街には、きっとこんな風景がたくさんあったのだろう。人肌の温もりがある懐かしい路地。ときどきわざと曲がってみる。

by marrungu | 2005-11-24 21:21 | Heritage 

2005年11月12日(土) 勝手に成城遺産・4「成城三丁目のススキが原」 (成城生活歴469日)

一面を覆うススキの穂。秋の風情を感じさせる光景だ。たとえば箱根の仙石原。夕陽に映えて黄金色に染まる草原には、この世のものと思えぬ美しさがある。リトル仙石原とでも呼びたいささやかなススキが原が、実は成城にもある。成城三丁目の国分寺崖線の上。「せたがや百景」のひとつ、「成城3丁目桜ともみじの並木」に指定された小路の奥だ。かつては住宅があったらしい一角、長い間放っておかれたお蔭で、自然がたくましく蘇っている。街ができる以前の成城には、きっとこんな風景が当たり前に広がっていたに違いない。舗装もされていないこの小路、そしてお向かいの古びた日本家屋、突き当たりの眼下に広がる喜多見の街並み・・・。やけに乾燥した昨今の成城と違い、少々湿気を含んだこの小路の風情は、何もかも好きだが、ことさらこのススキが原はいい。しばらく訪れなかったら、隣りに住居が建築中だった。それものっぺりとしたモダンなデザイン。どんな家を建てようと、施主の自由だろうが、この一軒のためにこのしっとりとした小路の風情はぶち壊しだ。「せたがや百景」が泣く。せめてこのススキが原と、お向かいの今は空家になっているらしいM邸が、長く保存されることを願うばかりだ。

by marrungu | 2005-11-12 17:22 | Heritage 

2005年11月5日(土) 勝手に成城遺産・3 「六丁目・旧岡田屋食料品店建築群」 (成城生活歴462日)

新参者のぼくにとっては、商店街の福引所か八百武の仮店舗の記憶しかないこの古びた建物だが、成城である時代を過ごした方々にとっては、落涙ものの店舗のひとつであったらしい。「岡田屋のひじきの煮付けがもう一度食べたい」などという書き込みをネットで見つけると、その昔東京のどの街にも一軒は必ずあった食料品店の風景が浮かんでくる。ガラスのふたのついたケースに、いろいろな惣菜が入っていて、計り売りで買えたのだろう。片隅では割烹着姿のおばちゃんが、惣菜を作っていたかもしれない。この建物の前に立つと、そんな日にワープできる。六丁目の商店街の中ほど、成城飯店の角を曲がって緑蔭館方向に向かったひとつめの角に、その建物は時を忘れたかのように建っている。四軒長屋として建てられた木造二階建て。そのもっとも北側が、旧岡田屋食料品店だ。今は住む人も無く、ふだん雨戸で閉め切られている。しかし、幸いにもほとんど改装されていない建物は、昭和の匂いを芬々とさせて、見る者の胸をきりりとさせる。圧巻はなんといっても屋根の上の看板。かつてはどこにでもあったブリキの看板。すっかり塗装が剥がれたが、その剥がれた跡がまるで心霊写真のようにくっきりと「岡田屋食料品店」と読める。その右端には時代を感じさせる外灯が取り付けられている。もう灯ることはないが、その美しいフォルムは、いまでは手に入らない。さらに、2階のガラス戸は、格子模様が美しい。決して高価なものではないが、今では手に入らない貴重な部材だ。もしかすると、何枚かのガラスは、あの薄い古いガラスに違いない。老朽化と立地の良さを考えれば、早晩建替えで消えていくことは間違いない。でも、あの看板だけは、どこかに保存できないものか。そんな勝手をふと思ったりする。

by marrungu | 2005-11-05 21:31 | Heritage 

2005年11月4日(金) 勝手に成城遺産・2 「四丁目の陶製表札」 (成城生活歴461日)

高級住宅地の代名詞のひとつである成城も、かつては土地としてはまったく価値のない場所だったようだ。国分寺崖線の下から、多摩川までの一帯は平坦な上に水利もよく、農地として早くから開墾された。だが、高台にあって水もない成城一帯は、喜多見在住4軒の農家の萱の草刈場として、ほとんど手付かずの原野だったらしい。北多摩郡砧村喜多見山野。成城学園が移転してきた当時の住所だ。やがて小田急線の開通にともない、成城学園の要請によって駅名が「成城学園前」となり、あわせて町の名前も「成城町」にかわる。だが、この町名、必ずしも住民に歓迎されたばかりではないらしい。『成城だより』の著者でもある大岡昌平氏は、歴史ある「砧」という地名に愛着を持ち、「成城」などというヘンな町名に変えられたと、自治会機関誌に憤りの一文を寄せている。その成城自治会の機関誌は、今でも誌名を「砧」という。今では世田谷通り沿いから北に向かって、1丁目から9丁目に整理されているが、成城町になった当時は丁目はなく、世田谷通り沿いの1番地から北に向かって順に番地の数字が増えて行った。今も当時の番地を記した表札をたまに見かけることがある。これもその一枚。建物は取り壊されたが、わずかに残った門の部分に、いわば奇跡的に現存する。手書き風の「成城町四八一番地」の文字。白い陶製のプレートが、いかにも懐かしい。小さな歴史の証言者。この土地で新築工事でも始まれば、あっという間にユンボが取り壊してゴミになって消えてゆくのだろう。

by marrungu | 2005-11-04 15:09 | Heritage 

2005年11月2日(水) 勝手に成城遺産・1 「二丁目A邸の巨大生垣群」 (成城生活歴459日)


「村は住む人のほんの僅かな気持から、美しくもまづくもなる」 
                             ~柳田國男

成城は住宅地としては美しい街だと思います。しかし、その美しさは今急激な再開発の波に押されて消えつつあります。世田谷区は平成14年から「地域風景資産」を選定。成城からは「三丁目緑地」と3軒の「成城の近代住宅」が選ばれました。しかし、これはあくまで「地域で大切にしたい風景」を「区民の手で守り・育て・つくりあげていく活動を支援」するもので、区が積極的にこの資産を守るというものではありません。また「五丁目猪俣庭園」のように「せたがやトラスト」の手で守られる資産もありますが、これもまた数や条件が限られています。このままでは、柳田國男をはじめとする多くの先人たちが作り上げてきた成城の美しい街並みがどんどん消えていく。深く危惧する「成城生活」では、ユネスコの「世界遺産」に倣って「勝手に成城遺産」なる制度を設け、成城から失いたくない文化や自然、未来の世代に引き継いで行くべき共有の宝物を「勝手に」選定・登録し、成城が「ほんの僅かな気持ちから美しくなるよう」その保護を強く訴えるものであります。・・・というわけで、その第1回は「生垣」。
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成城が誇る美しい景観のひとつが「生垣」です。大正末期に武蔵野の面影を残す自然の中に理想の学園都市を目指して生れた成城。移り住んだ方々は、「生垣」と「庭園」の設置を申し合わせ、その景観が美しい街並みを作り上げました。その精神は今も「成城憲章」に受け継がれ、「生垣や樹木などの敷地内の緑の保全」が謳われています。しかし、法的な効力をもつわけではないこともあり、施主の趣味なのか、建築家の傲慢か、はたまた行政の怠慢か、古い家が取り壊されると、年月を経た生垣はいともかんたんに抜き取られ、その後には無粋なコンクリート塀が立ちはだかるという有様です。そんな中で、二丁目のA邸のひばの生垣は見事です。植えられて何十年経つのでしょうか? 勢いよく伸びた枝は、道路側に1メートル近くも迫り出し、道路際に立っている電柱も交通標識もすっかり枝の中に飲み込んでいます。これだけ出っ張っていると、さすがに路上駐車しにくいとみえて、この生垣の前に違法駐車している車を見たことがありません。これだけ道路側に出っ張っているのは、問題かも知れませんが、前はろくに車も通らない広い道路。いいじゃありませんか! 成城の生垣精神を伝える「成城遺産」として、ぜひ末永く守っていただきたいものです。

by marrungu | 2005-11-02 14:58 | Heritage