
新参者のぼくにとっては、商店街の福引所か八百武の仮店舗の記憶しかないこの古びた建物だが、成城である時代を過ごした方々にとっては、落涙ものの店舗のひとつであったらしい。「岡田屋のひじきの煮付けがもう一度食べたい」などという書き込みをネットで見つけると、その昔東京のどの街にも一軒は必ず

あった食料品店の風景が浮かんでくる。ガラスのふたのついたケースに、いろいろな惣菜が入っていて、計り売りで買えたのだろう。片隅では割烹着姿のおばちゃんが、惣菜を作っていたかもしれない。この建物の前に立つと、そんな日にワープできる。六丁目の商店街の中ほど、成城飯店の角を曲がって緑蔭館方向に向かったひとつめの角に、その建物は時を忘れたかのように建っている。四軒長屋として建てられた木造二階建て。そのもっとも北側が、旧岡田屋食料品店だ。今は住む人も無く、ふだん雨戸で閉め切られている。しかし、幸いにもほとんど改装されていない建物は、昭和の匂いを芬々とさせて、見る者の胸をきりりとさせる。圧巻はなんといっても屋根の上の看板。かつてはどこにでもあったブリキの看板。すっかり塗装が剥がれたが、その剥がれた跡がまるで心霊写真のようにくっきりと「岡田屋食料品店」と読める。その右端には時代を感じさせる外灯が取り付けられている。

もう灯ることはないが、その美しいフォルムは、いまでは手に入らない。さらに、2階のガラス戸は、格子模様が美しい。決して高価なものではないが、今では手に入らない貴重な部材だ。もしかすると、何枚かのガラスは、あの薄い古いガラスに違いない。老朽化と立地の良さを考えれば、早晩建替えで消えていくことは間違いない。でも、あの看板だけは、どこかに保存できないものか。そんな勝手をふと思ったりする。